Monday

サーモンピンクのおはなし

チェルシーとミーニーは、細長い急な坂の路地を上り切った一軒長屋の両隣りに住んでいる、生まれた時からのおさななじみです。どっちがどっちの家の子だかわからないようなひんぱんな行き来をして、二人の声が聞こえないな、と思ったときには、決まってどちらかの居間で、クレヨンで仲良く絵を描いて遊んでいるのでした。

チェルシーとミーニーのお気に入りなのがサーモンピンクのクレヨン。冷蔵庫だろうがタンスだろうが消防車だろうが軍艦だろうが、二人の描く絵はどれもこれも、サーモンピンクなのでした。

器用にハサミとノリを使いこなせるようになった二人は、夏場は足踏み式ゴーカートにダンボール製の車体をとりつけ(もちろん、サーモンピンクのクレヨンが塗りたくってあります)、冬場は二人乗りソリに車体を付替えて、ジェットコースターごっこをするのでした。長屋から通りへ続く細く狭く長い路地を、まるでボブスレーのように走り抜ける二人。夏場のゴーカートは車軸がだいぶ錆びていることもあって、スピードはそれほど出ないのですが、雪が積もりそれが凍った冬場の路地は、本物のボブスレーのような速度になるので、通りをすっかり渡ってしまい、反対側の八百屋のオレンジの中に突っ込んだことが三度もありました。自動車が通っていなかったのが、まるで奇跡だ、と横丁の人たちは口々に言い、冬場のジェットコースターはついに禁止されてしまいました。

背丈が伸びて、十分足を踏ん張り、ブレーキをかけられるようになった二人は、再び冬場のジェットコースターを始めました。サーモンピンクの車体が、一日に何度も何度も、小さな細い急な坂道を、行ったり来りするのでした。

やがて別々のハイスクールに通うようになった二人は、それぞれの友達も出来、それぞれの恋人も出来、それぞれの夢や趣味や興味も出来て、別々の時間を過ごすようになり、もう壁を隔てた両隣りを行き来することはなくなりました。

サーモンピンクの車体が通りを走り抜ける光景を、横丁の人々はもう何年も目にしなくなり、チェルシーは、小さなコンピューター会社の技師に。ミーニーは女子野球チームの投手に選ばれ、ついには女子野球リーグにスカウトされて、アメリカ各地を点々と試合巡業するまでになりました。

二人は良い結婚相手に出会うこともなく、それぞれさびしく過ごしましたが、やがてチェルシーの会社は潰れて、実家に戻り、細々と電器製品の修理をして生計を立てるようになりました。ミーニーも、試合中のデッドボールで腕を痛め、正確な投球が出来ない体となってしまいました。

ある冬の午後、何年かぶりでミーニーは実家に帰り、チェルシーはなつかしくて、コーヒーを飲みにミーニーを誘いました。二人の話しは冬のジェットコースター遊びのことになり、きっとまだあのソリが納屋にあるはずだから、見に行こう、ということになりました。重い扉を開けると、埃だらけのサーモンピンクのダンボールの車体が、ソリに取り付けられたまま、棚の上に置いてありました。

チェルシーとミーニーは、サーモンピンクのソリを引きずり出して、長屋の前に置きました。細く狭く急な路地は、ちょうど昨日の雪が凍って、つるつるの状態です。大人二人の体は、ソリに押し込むには窮屈でしたが、でも、チェルシーとミーニーは、体をくっつけ合うようにして車体に乗り込み、思いっきり足を蹴って、坂をまっしぐらにすべり降りました。横丁の人々が、サーモンピンクのボブスレーを目にしたのは、実に二十年ぶりのことでした。

サーモンピンクのソリは、つるつるの坂でスピードがつき過ぎ、とうとう通りを渡って向う側の八百屋のオレンジの山に突っ込んでしまいました。チェルシーとミーニーは、おかしくておかしくて、ずっとオレンジの中に埋もれて笑っていました。

横丁の人々は、どうして自動車が通らなかったのだろう、それは奇跡だ、と口々に言いました。

次の年、二人は近所の教会で結婚式を挙げました。ミーニーのウェディングドレスは、あざやかなサーモンピンクの特注品でした。

それから何年かすると、横丁の人々は、夏も冬もいつでもしょっちゅう、あのサーモンピンクの車体が狭く長く急な路地を行ったり来りするのを見るようになりました。小さい頃のチェルシーとミーニーにそっくりの幼い兄妹が、ジェットコースター遊びをするようになったのです。心配した八百屋のお爺さんは、坂の下に車止めの木の柵を作ってくれました。

降り積もった雪が凍って坂がつるつるになった午後、幼い兄妹のサーモンピンクの車体が行ったり来たりしている間中、父となったチェルシーと母となったミーニーは、壁をぶち抜いて一つにしてしまった居間で、お気に入りのサーモンピンクのクレヨンを使って、じっと二人で絵を描き続けているのでした。暖炉には、サーモンピンクの心地よい炎がいつまでも暖かく輝き続けているのでした。

□■□


以上は、ぼくが2001年2月13日火曜の深夜に見た夢です。あんまりにも強く印象に残っていたので、書き残すことにしました。しかしなんでまた、こんな夢を見たのかしら?(笑)

□■□


「夢の分析」

サーモンピンクの夢を見た、と言ったら
A氏は、抑圧された性的欲望の現れです
と答えた

B氏は、オホーツクのおいしいベニトロを食べ過ぎたのです
と答えた

C氏は、幸福だった胎生期への回帰願望です
と答えた

D氏は、人間関係のストレスから逃避したがっているのです
と答えた

E氏は、童話ばっかり読み過ぎて脳が砂糖漬けになっているのです
と答えた

F氏は、神様からの素敵な夢のプレゼントです
と答えた

G氏は、そんな夢なんて、お茶を一杯飲んで忘れておしまいなさい
と答えた

ぼくは、台所に行って、ジャスミンティーの箱をさがし
お茶を立てて
一杯飲んだけど
やっぱり
忘れられなかった


Sunday

愚かな十字架の話

むかし、一人の若者がいた。
若者は、貧しい者、罪人、売春婦の友達だった。
若者は、誤解され、痛めつけられ、殺されてしまった。
ところが、馬鹿げたことに、若者は、
三日目に生き返ったと言うのだ。
そうして、その愚かな話を信じる者はだれでも、
その若者によって、救われる、と言うのだ。
わたしは、その愚かな話を信じてみることにした。
わたしはいま、二つのことを確実に知っている。
それは、わたしが、確かに救われた、ということ。
そして、その若者のゆえに、わたしは、
自分を受け入れ、人生を受け入れ、
喜び楽しんで生きることできるようにされた、ということだ。


Monday

巡礼の旅

ひとつの未分化の大きな自我が
どういうわけか
現象の世界においては
細かく小さくたくさんに分かれて
ぼくや
あなたや
あのひとになった、と
現象学者は言います

たくさんのばらばらな孤独な自我が
どういうわけか
やがて来るあちら側の世界では
ひとつに結ばれて
あなたであるぼくや
ぼくであるあなたや
あのひとであるみんなになる、と
形而上学者は言います

いずれにせよ
ぼくとあなたの間の
あなたとあのひとの間の
あのひととこのひとの間の
越え難い溝が

かつて越えられていたものだったのだし
いつかまた再び越えることができるのだ
ということ

だから
今日反目し合っているとしても
なつかしさと
未来への視線の中で
おずおずと握手し
一緒に並んで歩いて行くことにしましょう

あの日へ
向かう道を


 

ペンテコステ

弟子たちが
待ち望んで祈っていると
天が開け
聖霊が注がれ
栄光に満たされた 

ペンテコステの祝福

それは
天と地が結ばれる日
人が神に触れられる日
ふたつのものがひとつにされ
破れたものが修復され
枯れた井戸が奔流となる日

ぼくが、ほんとうのぼくとなり
あなたが、ほんとうのあなたとなる日


イコンの祈り

わたしではなく キリスト
そのキリストが
わたしをつかわし
わたしを「窓」として
恵みの世界があることを
ひとに見せてくださる
キリスト どうかあなたが
わたしを 生きてください


Friday

聖餐式



砕かれたひとかたまりのパン
そのかけらを
口にし
かけらは
わたしの中に入り
わたしを生かし
生きたいのちとなる

あなたは
わたしに
いのちを与えるために
痛み、傷つき、裂かれ
砕かれたひとかたまりのパンとなって
あなたそのもののすべてを
差し出してくださいました

共に痛むための内在

あなたはわたしの中で
きょうもわたしと共に
痛み、傷つき、裂かれ
わたしの「生」そのものを
担ってくださる

どうかわたしも
砕かれたひとかたまりのパンとなって
自らを他者に
差し出すことができますように

わたしも
痛み、傷つき、裂かれることによって
他者にいのちを与える
生きた聖礼典となることが
できますように


Monday



宇宙が誕生してから以来の
神様がおつくりになったすべての猫
三毛猫 黒猫 ペルシャ猫
シャム猫 白猫 灰色猫
縞猫 飛び猫 笑い猫
お茶猫 ひげ猫 火星猫
赤猫 ネコ猫 曲がり猫
それらすべての猫たちが
地上で与えられた各々の生を終えて
天国の集会所に集結し
無数の数え切れない神の息子たち娘たちとなって
讃美歌を歌い
深遠な宇宙の神秘を論じ合い
笑い、遊び、踊っている

猫ぎらいのマックイングリス牧師夫人は
天国に到着早々その遠大なる光景を目の当たりにして
その場で卒倒し
はやく天国に行きたいと
神にお願いした
神は言われた

 安心しなさい
 あなたが彼らのひげを抜き
 しっぽを踏み
 紅茶をぶっかけたことについては
 彼らはすべて寛容な心で
 赦してくれているから
 さあ、彼らの愛の抱擁を受けなさい

マックイングリス牧師夫人は
がたがた震え涙を流しながら
彼らの抱擁を受けたが
すぐにも逃げ出したそうな顔色で
確かに彼女が新しい兄弟姉妹と
一緒にやって行けるようになるまでには
永遠を三回繰り返す必要があった

注記:マックイングリス牧師夫人が在世中その庭を荒らしに来る猫たちにどんな種類の紅茶をぶっかけたのかについては、それがアールグレイだったという説、ラプサンスーチョンであったという説、その両方のブレンドであったという説に三分されていて、いまだ決着を見ていない。その紅茶にミルクが入っていたか、砂糖が何さじ入れられていたか、などというより高等な議論については、まだ各方面から着手されたばかりだというのが現状である。それゆえ、彼女が紅茶ばかりかロイヤルアルバート製1943年デザインの花柄カップそのままに投げ付けたのだ、という行き過ぎた主張については、よほど警戒し、慎重になる必要がある。ともあれ、彼女が猫のためにお茶を少しも冷まさず、熱いうちのままぶっかけたことだけは、諸方の見聞者の証言からも明かであって、このことが彼女のほとんど完璧とも言える主への奉仕の生涯に、看過し難い汚点を残しているのであった。神の小羊の血に洗われた彼女のシミゆえに、主をたたえよう。


Tuesday

かんちがい

猫の置物だと思ってたのに
ほんとは豚だったなんて!
大ショックっ

ぢゃあもしかしたら
ぼくもほんとはナマズぢゃなくて
オオサンショウウオなのかも……

どーしよーっ!?

  ばかだねぇ
  どーでもいーぢゃないのよ、そんなこと
  あたしはあんたが好き
  その事実だけは絶対変わんないわよ
  それいじょう、なにが大切なのよ?
  ゆってみし!


Friday

復活の日

不思議なラッパが青空に鳴り響き
イエスが
降りて来られる
数え切れないほどたくさんの
聖徒たちを従えて

なんて長い行列
天国に先に行った
あのひとが
このひとが
光輝く白いローブを身にまとい
喜びのダンスのステップで
降りて来る 降りて来る
ぼくたちの主の
あとからくっついて

ゆっくり ゆっくり
近づいて来る
地上に向かって
ぼくたちに向かって
イエスは笑っている
聖徒たちも笑っている
ひとあし ひとあし
近づいて来る
喜びのダンスのステップで

なんて長い行列
すべての聖徒たちが
地上に到着するまで
踊りは続く 何十時間も
地上は聖徒たちで大混雑
ぼくたちは 天国から戻って来た
あのひとや このひとと
手と手を取り合い 
肩と肩を抱き合い
泣き 笑い 歌い 踊る
死は二度とぼくたちを引き裂くことなく
永遠の復活の国で
よみがえりの主イエスの王国で
ぼくたちは一緒にすむ
いつまでも いつまでも
一緒に 
ずっと一緒に
ずっと永遠に一緒に


Tuesday

キリストのからだ

あのひとの中にいる 聖霊と
このひとの中にいる 聖霊は
おなじ ひとつの 聖霊

あなたの中にいる 聖霊と
ぼくの中にいる 聖霊は
おなじ ひとつの 聖霊

ひとつの 生きた いのちによって
むすばれ 生かされ つながれている

たとえ 言葉を かわさなくても
たとえ 顔を 見たことがなくても
たとえ 地上で 一度も会う機会がなくても

ぼくたちは いっしょ
いつも ひとつで 生きている
わかちあった 同じ ひとつの いのちに
むすび合わされ 生かされて


Monday

王国

全知全能の神が
あの日
飼葉桶の中で
無力な赤ん坊となった

その瞬間
宇宙の秩序はすべてひっくりかえり
弱いもの、小さなもの
悲しんでいるもの、うちひしがれているもの
痛むもの、敗けたもの、さげすまれるものが
永遠の世界における
王子や王女、皇帝や皇女、貴族や貴婦人となった
赤ん坊が治める、あの永遠の「小さなものたちの王国」で

あの日以来
飼葉桶からは
王国の歌が宇宙いっぱいにひびきわたっている
「小さく、小さく、なりましょう」
「ゆっくり、ゆっくり、あゆみましょう」
「すすんで手放し、失い、負けましょう」


Wednesday

釣浮草

塩風吹きすさぶアイルランドの街道沿いに
点々と咲く小さな赤い花、釣浮草
土地の人々はそれを
「神の涙」と呼ぶ
その昔、あの人がゴルゴダの丘で
血の涙を流された時
十字架の傍らに咲いた白い花を
血の色に染め
その日以来、釣浮草は
赤い花弁になったという

わたしたちが流した一粒一粒の涙に
ひっそりとよりそうように
あなたは、あなたの涙を重ね合わせて下さいました
大切な夢を捨てた涙
愛する人に裏切られた涙
生きることの重苦しさに堪え切れず流した涙
他人に見せられず心の底の淵に隠した涙
そのひとつひとつに
あなたは、さとられることをこばむように
黙ってあなたの涙を溶け合わせて下さいました

あなたが泣いて下さったから
わたしたちの悲しみは癒されます
あなたが嗚咽して下さったから
わたしたちは微笑むことができます
あなたが血を流して下さったから
わたしたちは生きられます

歩いて来た街道の過ぎし方を振り返ると
道沿いに見渡す限り点々と咲く小さな赤い花
これから進む行きし方を遠く望むと
地平線の彼方まで点々と咲く小さな赤い花
あなたの涙で、道の終着地まで
すでに、すべて、ふちどられているのですね
だから、これからもわたしは、泣いて良いのですね
悲しんでも良いのですね
傷つくことを恐れなくても良いのですね
あなたが、終着地まで
涙を重ね合わせて下さるのだから

この詩の着想は佐々木幹朗氏の「虹の国へ─アイルランド朗読紀行」(『ユリイカ』2000年2月号、青土社、99ページ)より得ました。



同伴者

小さな女の子が泣いていました
つらいことがあったのです

でも、だれの目にも見えませんでしたが
小さな女の子のすぐ隣りで
小さな男の子が泣いているのでした
女の子が悲しそうに泣くと
男の子も悲しそうに泣くのでした
小さな女の子が泣くときは
いつだって男の子も泣くのでした
その男の子はね
幼な子のイエス様だったのです

心の目をそっとあけて
あの時のことを思い出してみよう
あのつらかったとき
泣いていたのは 
あなたひとりじゃなかったのです
いつだって
一緒にあの子が泣いていたのです
これからだって
あなたはひとりで泣くことはないのです
なにも言わずに
ただ黙ってあなたと一緒に泣いてくれる
あの子がいる
今日も
明日も
ずっと


空虚な心

耐えられないほどに空虚な心
何をもってしても埋められない
魂の冷え切った石で出来た隙間

それがなくなればいい
何度そう願ったことか

でもそれは
なくなってはならないものなのだ
ということに
気付かされました

耐えられないほどに空虚な心

そこは
あなたが来てくださるために
特別に取っておかれた
聖なる場所

あなたが来て座って下さるために
まさにそのために
何によっても埋められることがないよう
いつまでも、ずっと、からっぽのままにされている
心の椅子

心の扉を開いて
あなたのおいでを待ちましょう

からっぽの自分のままで
それを覆い隠そうとはしないで

虚ろな自分を、ありのままに
あなたの前に投げ出しましょう

あなたが満たして下さるために
空虚なわたしが、ここにいます

わたしが空虚であるゆえに
あなたが満ちて下さいます


Tuesday

小屋

汚れた小さな小屋がありました
だれも近づこうとしませんでした
ずうっと空き家でした
冷たい北風だけが
ガラスの無い窓を吹き抜けて
ぴゅうぴゅうという
もの悲しげな音をさせていました 

ある日
大工の若者がやって来ました
汚れた小さな小屋をじっと見つめて
彼は中に入って行きました
埃だらけの狭い居間に立って
彼は言いました

「ぼくは帰って来たよ
 今日からぼくはここに住む
 明日も
 あさっても
 いつまでも
 永遠に
 ぼくはここに住む」
 
大工の若者は
汚れた小さな小屋の中で
なぜだか一人楽しそうに
生活をはじめました 

汚れた小さな小屋は
汚れたままでしたが
大工の若者は
あちこちに必要な修理をほどこして
居心地の良い場所に変えました 
通りがかりの村人に
大工の若者は言いました

「だって、ぼくはね
 この小屋が好きでたまらないんだ
 気に入ってしまってね
 だからもう、ここから離れられない
 ここがぼくの城なんだ」

その大工の若者はイエスさまだったんだって
だから
ぼくのところにも来てくれたんだね
それで
ぼくの心の中に入ってくれたんだね
いつまでも、一緒にいてくれるんだね


Sunday

恋の魔法

散歩してゐたら
恋の魔法のパッケージが道に落ちてゐた
拾い上げると
「タバコの吸いすぎに注意しましょう」
みたいな警告文が、小さな活字でこう印刷してあった

「恋の魔法は有効期限がございます
 あなた様の場合XXXX年X月X日で期限切れ
 それ以降は、恋の魔法は自動消滅いたしますので
 あしからず」
・・・だって

なによっ!あしからずってっ!?
きゃぁあっ~~~~~~~ なんなのよっ!?
どーして日付がちょめちょめって伏字なのよっ!

恋人達は恋に落ちたその瞬間から
やがて恋の魔法が死ぬ時が確実に訪れることを
心のどこかで本能的に知ってゐて
だから
まるで夜の怪物を恐れる幼子みたいに不安な声で
永遠の愛を誓ってみたり
皮膚に針刺す痛みで未来の自分達を罰するかのように
つるさま命って、腕に刻んでみたり
(だれなのよっ つるさまって?)
役所の戸籍係の官僚的確実さに「おまじないの紙」を託してみたり
社会的制度という鉄の鎖でお互いのクビをつないでみたり
するのだ

恋の魔法のパッケージをあけると
頭痛薬の処方箋みたいな小さな薄い紙切れが出て来て
こう印刷してあった

「恋の魔法が消えましたあとは
 もうあなた様を助けて差し上げることは何も出来ません
 もはや、アドレナリンを過剰分泌して、
 あなたの欲望を刺激することは出来ません
 お相手の欠点が目に入らないように、
 あなたの視床下部に煙幕を張ることは出来ません
 雲上を浮遊する幸福感で満たすための、
 βエンドルフィンの大量投与も停止させていただきます
 それから以降は
 あなたは、純粋に御自分の意志だけを働かせて、
 お相手を愛してさしあげなくてはなりません
 恋の魔法は自転車の補助輪のようなもの
 いつまでも、頼りにしてはなりません
 すべての地上的諸力が取り払われ
 最後に残された純粋な意志による愛こそが
 真に霊的なものとなるのですから」

恋の魔法をすぐ使いたがるのは
錬金術を学びはじめた若い徒弟だけ
うらがえさない靴下と、ふけだらけの肩を目にしても
なお戦慄しないまでに愛を聖化できるのは
純粋な意志だけ
この最後の学課を学び終えれたら
たくさんの涙から賢者の石を作り出す
生命の魔法を体得するでしょう

そーねっ
競輪選手は補助輪なんか要らないのよっ


神様からの手紙/付・罪人からの返信 

○○○さんへ
あなたを愛しています
自分の命を大事に思う以上に
あなたのことが大事です
あなたのためなら
喜んで死にます
あなたのためなら
私の持つ全てを捨てます
自分の命すら捨てます
あなたにずっとそばに居て欲しいのです
あなたと話しがしたい
私にはあなたが必要なのです
私が生きられるのは
あなたがいるから 

─あなたを愛する神より

あなたは言葉で
愛していると言われただけではありませんでした
あなたはほんとうに
自分の命を捨てて
本当に愛していることを
目に見える形で見せて下さいました
あの日 あのゴルゴダの丘で……
だから今日私は
あなたの愛を信頼して
この身をゆだねることができます
あなたの愛の中に

─神に愛されている罪人より



Friday

グラスゴー

高地地方の岩山に吹きつける
冷たい雨まじりの風は
物憂げなバグパイプの調べと混ざり合い
グラスゴーの石畳を渡って行く

あなたの悲しみを
茶色い川の流れに解き放てればいいのに
あなたの憤りを
鉛色の雲に撒き散らせればいいのに
あなたの恐れを
ヒースの野原に置きに行ければいいのに 

私の手はあまりに短く
あなたに触れられず
足は固められているので
あなたのもとに行けない 

でも、たとえこの目が
あなたを見ることが出来なくても
なお黙って待ち続けましょう
その日がやがて来ることを知っているから

その日
泳いだことの無い魚が、泳ぎまわる日
実を結んだことの無い木が、たわわに実を結ぶ日
歌ったことの無い小鳥が、青空にさえずりわたる日
鳴らなかった鐘が、大きく打ち鳴らされる日

その日が来るまでは
希望というハンカチの中に
あなたの涙をそっと包んで
私の魂の真中にある
重い心という引出しの中に
しまっておきましょう
しっかり鍵をかけて

その鍵は
あなたが持っていて下さい
共に笑い合える日が来たら
あなたがその鍵で
あけて下さい
ハンカチをほどいたら
涙は賢者の石になっていて
私にも、あなたにも
本当のことを
私たちが本当に知りたかったことを
すべて見せてくれるはずだから


グラスゴー市の紋章

スコットランドのグラスゴー市の紋章は「泳いだことの無い魚」と「実を結んだことの無い木」と「歌ったことの無い鳥」と「鳴らされたことの無い鐘」が意匠に使われています。それらは現在の物事の否定的な側面を示していますが、それはまた同時に未来への無限の可能性でもあることを、示しているのです。















山荘夢卓

疲れ果てた牧師は
仕事を全て投げ打って
山荘に一人こもり
居間の机に神学書を山と積んで
連日しかめっつらで
形而上学的難問と葛藤していた

ある日、突然玄関のドアが開いて
ひょっこりイエス様が入ってきた
なんていたずらっぽい笑顔!
「さあ、そんな難しい本は読んでいないで
 僕と一緒に散歩に行こうよ!」
イエス様はにこにこしながら
牧師の腕をつかまえて
外に飛び出した 

またとない好機
今こそイエス様に哲学的難問を
ぶつけてみよう
牧師は意気込んでイエス様に向かうと
イエス様はさっとしゃがみ込んで
「わあ!見てごらん、このカナブンを!
 なんて小さくて力強いんだろう
 ほら、この足の動き具合がすばらしいじゃないか」
小さな虫にすっかり夢中で
牧師はとりつくしまがなかった

少し歩いて行くと
牧師はまたぞろイエス様に神学的難題を
ぶつけてみたくなった
頃合を見て牧師が声を出しかけると
イエス様はひとさし指を唇にあてて
「しぃーっ、しずかに!
 ほら、耳を澄ましてごらんよ
 野原の向こうから子どもたちの声が
 聞こえてくるよ!」
風が運ぶ遠くの子どもの声に静かに聞き入るので
牧師は何も言えなくなった

やがて歩いて池の端にやって来た
この機会を逃したら、もうチャンスはあるまいと
牧師は覚悟を決めた上でイエス様に向き直り
質問するために口を開きかけると
イエス様は地面にしゃがみ込んで
小石をいくつも拾い集めているのだった
「さあ、これから僕と一緒に
 この石を池に投げて遊ぼうよ」
イエス様は、ぽーん、ぽちゃり、ぽーん、ぽちゃり、と
小石を楽しそうに池に投げ始めたので
牧師はただもう呆気にとられた

ふと気がつくと
牧師は居間の机に戻っており
イエス様は玄関から外に出て行くところだった
バタン
ドアが閉まり
再びドアが開くと
半身だけ体をのぞかせたイエス様が
牧師に言った
「ねえ、もっとリラックスしなきゃね
 リラックス!」
そう言うと、ドアは閉じた

この詩の元となったお話は、スウェーデンのストックホルム・ヴィンヤード教会の協力牧師で、新約聖書神学者であるハンス・ヨハンソン先生の身の上に本当に起きた出来事です。ヨハンソン先生は何年か前、日本に講演旅行に来られた折りに、この不思議なご自分の体験を話して下さいました。この体験をした後、ヨハンソン先生は自分の生き方が根本から変えられ、かつ、当時離婚の危機に直面していた奥様との関係も修復することが出来たということです。どうですか……今度の休日は池のある公園にでも出かけて、のんびりイエス様と小石でも投げて過ごすというのは……「イエス様、春が来ましたねえ」なんて小声で話しかけながらね。



→速度標識◎

人は時速四キロでしか生きられないのに
無理して時速250キロで生きようとしてしまう
人は時には立ち止まって休まなければならないのに
いつも無理して後ろを振り返ることに
罪悪感を抱いてしまう

神様は時速四キロでしか走れないのに
人間はいつも神様を置いてきぼりにして
遠く先まで行き過ぎてしまう

さいわいなるかな 小さき者たち 弱き者たち
心貧しき者たち 立ち止まり進めぬ者たち
スピード狂の異常な世界にバランスをもたらすために
この星に贈られた大切な人たち
これらの神の速度標識がもし与えられていなかったら
この星はとうの昔に滅んでいたことでしょう


Thursday

枯れ木
空き缶の山に埋もれた植込み
壊れた水飲み場
錆付いたブランコ
猫の糞とタバコの吸殻だらけの砂場
スプレーで落書きされた滑り台
遊ぶ子どもの姿は無く
通行人すら避けて通るような
鉛色の夕暮れの午後
カラスの鳴き声すらしない
さびれた空間の中で
ただひとりただずみ
あの人のことを想う

あの人の息吹き
聖なるルーアッハ
万物を生かす神秘の風は
錆付いたコカコーラの缶にすら
今この瞬間
吹き付けている
命の風は
この星をやさしく包み
はぐくみ
生かしている
誰も気付かないその瞬間にすら
決して止むことなく
ゆたかに
たゆとうばかりに
世界を覆い
浸透し
すべての存在と共にあり
すべての存在を受容し
交わっている
あなたのその息吹を
孤独な荒れ果てた場所ですら
つかもうと試み
つかめた
この小さな心のひだの中へと


ベクトル→→←←

たくさんのことを真剣に議論しても
ちっとも距離が縮まらない
言葉には限界があるのだろうか
理性能力は十全でないのか
同じ人間で同じ言語を喋って
同じ時代に生きて同じような宗教を信じているのに
どうして考え方がこうも違うのだろうか

いいんでしょうか
距離が縮まらなくても
いいんでしょうか
これ以上分かり合えなくても
いいんでしょうか
同じ意見に到達できなくても
僕たちはみんな違うベクトルを持って
生きるべく方向付けられているのなら
諦めるしかないか
それともあきらめないで
あと千時間ほども
議論を続けたらいいんだろうか

もういいよ
一緒に居れるだけで
そういうことにしようよ
ベクトルは違っていても
僕たちはどういうわけか
今ここで互いに交差するよう置かれている
その交差する一点が
今ここにあることだけで
いいことにしようよ
だめかい
ねえ


私は今日は涙しているが
やがて彼が来て涙を拭ってくれる
腰に巻いたエプロンを取って
私の目から涙を拭いとってくれる
昔母親が幼い私にそうしてくれたように

私は今日は傷だらけだが
やがて彼が来て癒してくれる
傷口に赤チンを塗って
私の痛みを和らげてくれる
昔母親が幼い私にそうしてくれたように

彼は来る
ひと足 ひと足
近づいている
だから私は目を上げて彼を待つ
涙を流し傷ついたままで
私は今日も生きていける